柔道、柔術のつながりが接骨術請願の力となった。 接骨院・整骨院の先生には、ぜひ知って欲しい。柔道整復術として公認された経緯②
先ごろ萩原七郎先生が亡くなる数ヶ月前に萩原正先生(七郎先生ご子息、元日本柔道整復師会会長)宅にて録音された音声が萩原利光先生(正先生弟)のご自宅に残っており、公認運動当時の苦労話や裏話を肉声でお聞きすることができました。
当時の医療界で大きな影響力を持っていた高木兼寛軍医総監と小田原で5分から10分程度の面会ならとの約束が取れ、さっそく車で向かい公認請願の話から柔道の話となり、さらに武士道の話に花が咲き結局40分以上話すこととなり接骨家の窮状を理解していただいたことなど初めて聞くことばかりでした。
さらに議会に対し公認に向けた請願運動が強力に進められましたが、中心となった天神真楊流の井上啓太先生の高弟には、三浦謹之助氏(大正天皇侍医頭・医学博士)、井上通泰氏(宮中顧問官・医学博士)、徳川圀頼侯爵、加納治五郎先生、横山作次郎先生、板谷芳郎男爵(東京市長)がおり、本県でも、わが国整形外科の権威で東京帝大教授だった田代義徳医学博士(足利市出身)、同金井良太郎医学博士(足利市出身)、横堀三子代議士(芳賀町出身)、高田運平代議士(南那須町出身)、本県初の大臣横田千之助代議士(足利市出身)また中央では高木正年代議士他9名、貴族院議員徳川慶久侯爵他2名、医事衛生の権威者高木兼寛閣下(軍医総監)、頭山満翁、大隈重信氏、原敬氏などそうそうたる方々を介して請願運動が展開されており、萩原七郎先生の人脈の多さには驚きです。
完成した請願書の主意書の中に次のような文言があります。
「医ノミ必ズシモ万能二アラズ・(略)・、接骨尚ホ可アルナリ、元ヨリソノ病状如何ニヨリテ選択スル何ノ不可アラン」つまり、西洋医学がすべて万能ではなく西洋医学と伝統医療である接骨による施術は、病状によって選択されるべきものである。と主張しています。
明治中期までは鍼灸が医療の主流であり明治後期に西洋医師数が鍼灸師数を超えるまでは、代替医療ではなく一般医療として認識されていました。
接骨の場合も、鍼灸術で使用されている経穴に基づく当身(あてみ)穴を応用していたため、広い意味では西洋医学と対等に認識されうる東洋医学の範疇と考えていたのです。
加えて接骨術は、武術の一部であることから、萩原先生の中には、接骨家は針灸・按摩マッサージとは異なる立場での医療従事者として法的に認知される必要があると考えるとともに東洋医学の一部として接骨術を医療の選択肢に入れようとしたことがわかります。
参考資料 「早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士課程 体育史研究第30号 柔道整復師の誕生―1911‐1920年における柔道整復師の法制化を巡って」湯浅有希子原著論文
芳賀町広報誌 続・ふるさとこぼれ話 柔道整復師の法制化に奔走した人参照
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